本格的に冬の寒さが到来です。といってもずいぶんと遅い冬の到来ですが。2011年もあと残すところわずかとなりました。年末にかけて数は少ないですが、レアなところを出していきたいと思います。
今週は講談社少女クラブ10冊です。1960年〜廃刊した年の1962年までです。売り上げ部数が少なくなったのか1962年の少女クラブはあまり出て来ません。
講談社「少女クラブ」は、1923年(大正12年)に「少女倶楽部」の誌名で創刊されました。創刊号は1923年1月号なので厳密には1922年12月の刊行だと思われます。1946年4月号から誌名を「少女クラブ」へ変更。1962年12月号をもって廃刊。丁度40年間続いた雑誌です。1962年8月号中の記載で次の9月号で通巻500号に達するとありますので、創刊〜廃刊まで通算503号(増刊号含む)刊行されたようです。更に1962年8月号までの累積部数は1億6300万部と記載されておりますので、単純平均しても32万部くらいの発行部数は維持していたようです。
廃刊した理由は、部数低迷もあるのでしょうか、基本的には「週刊少女フレンド」を刊行するためだったようです。1962年8月号には新人発掘のための「少女クラブまんがスクール」を終わらせるなど、廃刊するための事前準備をしていたフシがあります。
まずは今回の見所。
西谷祥子の最初の作品、「ふたごの天使」です。左は1961年11月号掲載分。右は1962年8月号掲載分です。厳密に言うとデビューとなる一番最初の掲載は、1961年夏休み増刊号ですので1961年11月号掲載分は2作目ということになります。1961年11月号は1ページ掲載、1962年1月号は6ページ掲載、1962年4月号、8月号では8ページの掲載となっています。
このあと「少女クラブ」が廃刊してしまうので、西谷祥子は高校卒業後、家業の美容師の資格をとってから上京し、水野英子のもとでアシスタントをしながら別冊マーガレットで再デビューするようです。
1960年代前半の少女の憧れは、なんといってもバレリーナ。バレリーナのピンナップは必須の時代でした。左は1960年6月号掲載の大原永子のピンナップです。右は1961年6月号掲載の森下洋子のピンナップです。ちなみにこの1961年6月号のピンナップが今のところ当店で扱った森下洋子関連のもので一番古いものです。この当時まだ12歳でした。
バレエ関係の作品をこの時期描いていた細川知栄子も人気作家の一人でした。左は1961年11月号掲載、「母の名よべば」。右は1962年4月号掲載、「ふたりの白鳥」です。
もう一人の人気作家が水野英子。1960年1月号から連載を始めた「星のたてごと」。左は1961年4月号の扉です。右は1962年4月号の扉ですが、作画が水野英子ではなく下川洋子になっております。この時目の病気で急遽代筆となったようです。この時の経緯はサンコミ版「星のたてごと」第3巻のあとがきに載っています。
ちなみにこの時期、武内つなよし「わんウェイ通り」にも代筆が入っています。
左は1960年6月号の第1回です。作画が横山まさみちの代筆になっております。右は1961年3月号掲載、武内つなよし自身の作画です。
いまならば代筆ではなく休載となるところですが、やはり当時は代原などの習慣もなく、とにかく載せることが必須だったようですね。
今回の見所をもう一つ。あすなひろしの初期作品です。あすなひろしのデビュー作は少女クラブ1961年お正月増刊の「まぼろしの騎手」です。厳密に言うと少女ブック1961年お正月増刊号にも「南にかがやく星」という作品が掲載されましたので、どっちが本当のデビューかは微妙なところですね。左上は1961年10月号掲載「さいごのジャック」です。「3まいのハート」という連作短編の第1話になっております。右上は最初の連載作品(といっても全3話ですが)、1962年1月号掲載の「白い夜」第1話です。下も同じく連載作品、1962年4月号掲載の「ちいさなうた」。こちらも同じく全3話です。まだ絵柄が完成する前のあすなひろしの作品群です。
最後に”少女クラブまんがスクール”の話題をひとつだけ。
左の画像は1962年8月号の”少女クラブまんがスクール」です。これが最終回です。いつから始まったのか詳細がちょっと不明ですが、この号に約1年続いたと記載がありますので恐らく1961年の夏ごろから始まったのだと思われます。右の画像はちょっと部分拡大したものです。岸裕子、高階良子、志賀公江の名前が見受けられます。
岸裕子は1967年の週刊マーガレット増刊号掲載「よわむし先生」でデビュー。デビューした年が17歳なので、この少女クラブへの投稿時は12歳だったと思われます。
高階良子は若木書房「ゆめ」62号(1965年2月号)掲載の「リリ」でデビュー。この少女クラブへの投稿時は16歳だったと思われます。
志賀公江は1967年の週刊マーガレット増刊号掲載、「走れ!かもしか」でデビュー。この少女クラブへの投稿時は14歳だったと思われます。
結局講談社でデビューした人は、いなかったようです(^^;;
来週もちょっとだけレア物の予定。時間があれば雑誌で時間がちょっととれなければ単行本になるかもです。
巴里夫「5年ひばり組」8巻(最終巻)も来週には販売できる予定です。