雪こそ降っておりませんが東京も底冷えのするような寒さです。エアコンを付けていても足元が全然温まりません。
今週は予告どおりの少女雑誌です。大半が昭和30年代です。今週の新着目録です。
まずは小学館の少女サンデー。
以前こちらで紹介したことがありますが、相変わらず実態がはっきりしない雑誌です。左の1961年1月20日号には通巻表記としてNo.2の記載があります。創刊が前年の8月(表紙には初秋号と記載)ですので、これが2冊目かというとどうやら1960年12月号というのが存在しています。明確に存在を確認したわけではないのですが、読者欄の内容からも12月号の存在を伺わせる記載があります。
結局刊行された号数は
1960年9月号(初秋号)、12月号
1961年1月20日号、2月20日号、3月20日号、4月20日号、8月15日号
1962年1月号、2月号、3月号、4月号
の全11冊のようです。 ちなみに創刊〜1961年まではB5判型、1962年からA5判型です。
タイトルの「少女サンデー」から、「少年サンデー」の少女版のように思われがちですが、内容的には「女学生の友」を低年齢化させたような内容です。雑誌のコンセプト自体この時期のものとしては後発過ぎて微妙だったかもしれません。
左は少女サンデー1961年1月20日号収録、手塚治虫「野ばらよいつ歌う」。右は1961年2月20日号収録、芳谷圭児「天使のともしび」。
講談社「少女クラブ1956年新年増刊号」です。横山光輝の単行本未収録「白鳥の湖」が掲載されております。全8ページでカラーが4ページです。他には小松崎茂の絵物語「ラインの歌姫」とか、本格デビュー前の水野英子「たこたこあがれ」(みずのひで子名義)の作品なども見受けられます。ちなみに事の時水野英子はまだ16歳でした。
集英社の少女ブックが2冊です。1956年の2月号と3月号ですが、このころですとまだ漫画よりも絵物語のほうが主体な時期です。
右上が南村喬「女王の星」です。まだ南村喬之のペンネームの前で、この当時のペンネームの読み方は”みなみむらきょう”だったようです。
左下は松本かつぢ絵の「嵐の小鳩」。「くるくるクルミちゃん」とは大分絵柄が違います。
右下はこの当時少女挿絵家の代表勝山ひろしです。この画像自体は1956年3月号のものです。
お次は光文社「少女」。1955年5月号。藤子不二雄「ゆりかちゃん」収録です。藤子不二雄ファンには有名な原稿を落としまくって干されていた時期に描いた数少ない作品です。
こちらは1956年3月号。藤子不二雄「白さぎ城物語」収録です。あまり藤子不二雄は詳しくなくて、初期のものはAさんが描いたのかFさんが描いたのか区別しにくいのですが、こちらはAさんが描いたようです。
少女1958年11月号。松本あきら「青い目のマリー」収録。この作品の扉ページに”映画になるこわいまんが物語”と銘打たれているのですが、本当に映画になったんでしょうか?
少女1959年1月号。高橋真琴「東京−パリ」。
少女1959年4月号。松本あきら「名づけてサクラ」収録。同名の映画作品のコミカライズです。日本人と黒人のハーフの少女が母親を探しに密航して日本に訪れるというお話です。
「少女」の最後は増刊号。1956年夏休みの増刊号です。右上は松本昌美絵による絵物語。「少女」と松本昌美の組み合わせは珍しいような。下はオオトモヨシヤス「真珠のくびかざり」です。昭和30年代初頭頃のオオトモヨシヤスは最高に女の子が可愛いです。
最後はりぼんが1冊。1969年9月号。北島洋子「オー!バーブラ」新連載。北島洋子全盛の時代でした。
来週は新書の単行本の予定です。とりあえず河あきらが主体になるかと…
それでは皆様お風邪などめさぬように…(^_^)/~~~
追記:
新年1月7日(金)〜1月26日(水)に南青山ビリケンギャラリーに於いて山田勇男・うらたじゅん展「少年探偵団と人魚」が開催されております。
詳細はビリケン商会HPにて、もしくはうらたじゅんブログの12月14日に内容詳細が載っています。