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腐海のほとりに佇んで    藤下真潮
番外編 1967年『なかよし』の頃

 

 初出:「漫画の手帖 TOKUMARU No.06」 2012年1月22日発行

 

 

 

 

 ここに1冊の小冊子がある。
 B5判全24ページ(表1〜表4含む)の中綴じ装丁で、表紙及び本文のほとんどが黒とピンク(というよりマゼンタ色)の2色刷りのものだ。
 表紙には”売れゆき好調!いま話題の児童雑誌 なかよし <読者資料> 1968 講談社”と記載されている。『なかよし 読者資料』という冊子がどんな内容かといえば、雑誌『なかよし』読者に対して行なったアンケート集計結果を広告主向けに編集したものである。詳細については後述するが、要するに『なかよし』の読者に対して、家族構成とか、親の年収とか、どんなものが好きかとか、どんなものが欲しいかをアンケートして集計した資料である。表紙に”1968”と記載され、更に裏表紙左隅に”43.6”と記載があるのでおそらく1968年の6月頃に発行されたものと思われる。ただし後述するが内部の集計データ自体は1967年後半(11月頃)のものである。
 どこでこんなものを入手したのかを説明するのは、話が長くなるのでちょっと面倒。話をすごく簡単にすると古書市場で仕入れた雑誌の束の中に紛れ込んでいたのだ(説明手抜きすぎ)。
 内容を紹介する前にデータ集計の元になった1967年当時の世相の概略をちょっと紹介したい。
 1967年の当時店主は小学校1年生だった。今ではすっかりくたびれたけど、当時は本当にピッカピカの新品だった。まあ、そんなことはどうでも良い(世相じゃないし)。
 国際的な状況といえば、なんといってもベトナム戦争。1965年にアメリカ軍による北爆が開始され、泥沼化の様相を呈し始めたのがこの頃である。国内でもこれに連動して、羽田闘争などの学生運動が過激化し始めた。更に第3時中東戦争によりイスラエルが領土拡大を図るのもこの頃である。
 まあ血なまぐさい話は置いといて、国内の風俗的なものを紹介。ミニの女王ツィギーが来日して、ミニスカートが大流行する。前年の66年にビートルズが来日した影響から、翌67年になってグループサウンズが大ブームになる。深夜放送の先駆けとなる「オールナイトニッポン」が10月より放送開始。
 すこし子供向きの話題に絞ってみると、森永製菓「チョコボール」が発売(2月)された。当時の売価30円。タカラから「リカちゃん人形」が発売(7月)された。こちらは売価600円から。
 TV放映はに関しては、「ウルトラセブン」や「ジャイアントロボ」が放映。アニメでは「パーマン」や「リボンの騎士」が放映された。カラー放送は始まっていたけれど、カラーテレビ世帯普及率は1.6%しかなかった。
 マンガ関係の話題だと、虫プロ「COM」が1月に創刊。集英社「デラックスマーガレット」も創刊(創刊は夏の号から。当初は季刊ペースの刊行)。
 当時の少女漫画系の代表作といえば、北島洋子「スイートラーラ」(りぼん)、松尾美保子「ガラスのバレーシューズ」(なかよし)、古賀新一「まだらの毒ぐも」(週刊マーガレット)、楳図かずお「赤んぼ少女」(週刊少女フレンド)等々(セレクション偏ってます)。
 少女漫画家のデビューでいえば、岸裕子、志賀公江、藤原栄子、池田理代子等が『週刊マーガレット増刊号』でデビュー(藤原栄子と池田理代子は雑誌デビュー)。忠津陽子と美内すずえが別冊マーガレットでデビュー。いわゆる24年組が出てくるほんの少し前の時代である。
 まあこんなところで時代の雰囲気は感じていただけただろうか。
 それではようやく中身の説明(相変わらず前フリが長い)。
 表2に編集子による、まえがきが記載されている。内容的には広告主に向けて、この資料を広告活動に役立てて欲しい旨が記載されている。ちなみに当時のマンガ雑誌にはせいぜい2〜3件程度の広告しかなかった(自社およびグループ会社の広告は除く)。だいたい表3か表4にカラー広告。途中にモノクロ広告が1件程度というのが定番。常に同じ広告主が広告を打っていたわけではないので、年間通じても10社程度の広告主ではないかと思われる。だから本冊子は現行の広告主への提供資料の意味合いも当然あったが、本当は新規の広告主を獲得するための営業用資料としての意味も強くあったのだと思われる。
 次に目次が来て、その次に広告主からのメッセージ(挨拶文)が掲載されている。一つ目が鐘淵紡績株式会社(その後カネボウ株式会社に。2008年に精算消滅)。当時カネボウは「ドンキッコ・ガム」という子供向けのガムを発売していた。ふたつ目が株式会社中嶋製作所(現ナカジマコーポレーション)。当時スカーレットちゃんという女児向け着せ替え人形を販売していた(発売は1966年)。
 4ページ目から8ページまでがアンケート集計の主要な結果をまとめたもの。9ページ目から21ページ(表3)目までが各集計の詳細となっている。
 質問項目は約33項目。巻末の調査メモによれば、調査対象は『なかよし』1967年10月号の懸賞応募はがき18,730通の中から県別配本比率、学年別比率に応じ1,500件を無差別抽出し、この調査対象に対しアンケート用紙をダイレクトメールにより送付(送付時期は1967年11月頃)。回収されたアンケートは1,062通(回収率70.8%)となっている。

ちなみにアンケート対象となった懸賞がのった『なかよし』1967年10月号の内容はこんなでした(小説と読み物は割愛しております)。

1967年10月号 B5判 328ページ 定価200円
松尾美保子「ガラスのバレーシューズ」カラー4ページ
牧美也子「星のゆりかご」カラー4ページ
高橋真琴「ミニヨンの歌」絵物語
竹中きよこ「チャコねえちゃん」
水野英子「幸福な王子」絵物語
松尾美保子「カッコいいあの子」読切
赤塚不二夫「こきつかい一家」読切
楳図かずお「女の子あつまれ!」
吉森みきを「なみだの運動会」読切
今村洋子・ゆたか「なんでもヤッちゃん」新連載
望月あきら「おいでロッテ」
木山茂「その名はジャンヌ」読切
付録は10点。
・リビングセット
  ・着せ替え人形
  ・鏡台
  ・洋だんす
  ・ステレオ
  ・応接三点セット
・おしゃれミニバッグ
・マスコットほうき
・まりちゃんメモ帳(星のゆりかご)
・かわいいシール集
・なかよしブック 松尾美保子「椿姫」
広告はわずか2件しかありません(自社広告は除く)。
・ショウワノート マーガレットパノラマブック(着せ替えおもちゃ)
・ヤマハ オルガン

 ここでちょっと休憩(ゼイゼイ…)。ここまで全然ギャグを入れる要素がなかった。なんだかサラリーマン時代の会議資料でも作っている気分になってきた。ここまでギャグが入らないと読んでるのが辛いかもしれないけれど、実のところ書いてる方はもっと辛いんです(泣)。

 閑話休題して、ようやく本題(お〜い)。質問項目全部は紹介しきれないので主要なものをピックアップして、ちょっと解説加えます。

・読者の学年別比率:小学3年生〜6年生が中心でここで全体の70%を占める。ピークは小学5年生。
 あまり根拠はないのだけれど、現在の『なかよし』読者とそれほど大きな差はないような気がする。もっとも「セーラームーン」が掲載されていた90年代には年齢不詳の怪しい男子の読者比率が随分と高かったとは思われるが(笑)。
・クラスやクラブのリーダーの経験率:60%の読者がリーダーを経験。
 この質問広告の意図がいまいちよく分からない。クラスやクラブのリーダをやっているような優等生は、消費性向においてもリーダーになりうるということなのだろうか。
・購読状況 
 ・毎月購読している60%以上。そのうち自分のお小遣いで購入が40%。親に買ってもらうが35%。友達もしくは貸本屋から借りるが20%。
 ・何ヶ月前から読み始めたか:1年以上前からが65%
 ・回読率(回し読みの人数):平均6.5人
 思いの外、親に買ってもらう率が高いような気がする。回読率が高いのは、やはり今よりも姉妹や普段から遊ぶ友達の人数が多いからなんでしょう。
・両親も見るか <見る>と<ときどき見る>を併せて75%。
 この場合の<見る>というのは、多分子供が読んでいるのがどんな内容かをチェックするという意味の<見る>と思われる。今の親だと子供と一緒になって読んでいるかもしれない。
・テレビの視聴時間 2時間37分(平日)
 現在の小学生の平日におけるテレビの視聴時間は2時間を切っています(2007年データ)。今の子供のほうがいろいろと忙しいみたい。
・1ヶ月のお小遣い 平均516円 小遣いの使いみち:本を買う65% お菓子を買う62% 貯金する48%
 意外とお小遣いの額がこの当時としては多いような気がする。現在の小学生のお小遣いの統計というのがいくつか出ていて、最も多い回答が学年×100円らしい。そうすると小学校5年生で500円(ただし統計によっては小学校高学年で1000円程度というデータもある)。今と1967年ころとあまり変わりがない。小遣いの使いみちも本の購入52%、お菓子の購入46%、貯金50%(以上3項目は2005年ベネッセ調査による)。後述するけど1967年当時と現在の物価は3〜5倍程度に上昇していることを考えると、あまりお小遣いの額は変わらないのはちょっと不思議。もちろん子供を取り巻く環境の変化(駄菓子屋みたいのがないとか、子供同士のお付き合いが薄くなっているとか)があるので一概に比較できるものでもないですが。
・絵やマンガをかいているか <かいている>と<ときどきかいている>を併せて94%
 今のデータは知らないけれど、94%というのはかなり高率だと思う。いかにもマンガ全体が娯楽だったかを物語っているような気がする。
・欲しいもの、親が買ってあげたいもの:子供が欲しいもの第1位テープレコーダ46% 第2位ピアノ45%。親が買ってあげたいもの第1位テープレコーダ。ピアノは第5位。
 当時のテープレコーダはカセット式(TDKが1966年に発売)がまだ普及していない頃なのでオープンリール式テープレコーダです。でもテープレコーダを購入して何をしたかったのかがちょっと良く分からない。勉強に使えるとかの意見もあるかも知れないけど、それにしても今考えるとよく分からない。ちなみに1967年当時12歳の少女だった同業者に意見を聞いて見ました。「たしかに当時テープレコーダ欲しいと思っていたけれど、何に使おうかと思ったかはもう思い出せない」だそうです。結局動機不明でした(笑)。やっぱりテレビのドラマとかアニメとか音楽番組を録音しようと思う子供が多かったのだろうか。ただしライン入力なんてシャレたものはテレビ側にもレコーダ側にも付いていないから、はっきりいってまともに録音するなんてのは無理でしたけどね(私は経験者)。
 ピアノに関しては子供が2位で親が5位という親の意見が低位になるのはうなずける。置く場所も大変だし、今も昔も値段がハンパじゃないしね。
・親の年収 読者平均103.7万円
 この当時の労働世帯年収の平均は90.4万円(1966年調査)だったそうである。ちょっとだけ経済的に余裕のある家庭が多かったみたいです。ちなみに2010年度のサラリーマン平均年収は412万円だそうです。
 さて、それではいよいよおマトメおマトメ。この資料から当時の『なかよし』やマンガ全般を取り巻く環境というのが、どれだけ読み取れるかということですが……う〜んむずかしい(お〜い!いまさらなにを〜)。 この手の資料の分析というのは対照データが必要で、世相を紐解くなら現在との対比データ、当時の『なかよし』の立ち位置を分析するならライバル誌のデータとか。せめて週刊と月刊という対比するために『週刊少女フレンド』のデータがあれば良いのだけれどもそれも無し。ないものねだりしても仕方が無いので、かなりの推測が入るのを覚悟でちょっと分析。
 1967年における『なかよし』の直接のライバルといえば集英社の『りぼん』。これは単なる古本屋のカンと経験であって具体的数値根拠を何も持たないのであるけれど、1960年代の後半における『りぼん』と『なかよし』の部数比率は2〜3倍くらいと圧倒的に『りぼん』が勝っていたような気がする。そのくらいの比率でしか現在の古書市場に流通していません。
 値段比較では『なかよし』の328ページ定価200円に対し、『りぼん』は358ページ定価200円。マンガ作品数では、『なかよし』12作品(絵物語2作品含む)、『りぼん』10作品。 マンガ部分の総カラーページ数は『なかよし』8ページ、『りぼん』10ページ。当時の月刊雑誌の集客の要である付録の数は、『なかよし』10点に対し、『りぼん』9点。『りぼん』の方が若干アドバンテージありますが、だからといってそんな大きな差があるわけでもありません。それではどうしてそんなに部数が違ったかといえば、多分に連載作品の人気に原因があったのだと思われます。
 この当時の『なかよし』の連載で人気が高かったものといえば、松尾美保子「ガラスのバレーシューズ」が挙げられるが、それに対して『りぼん』は、水野英子「ハニーハニーのすてきな冒険」、巴里夫「5年ひばり組」、北島洋子「スイートラーラ」と簡単にあげても随分と差が出る。当たり前の話だけれど作品の人気で売上部数は思いっきり変わっていたはずです。
 それからもうひとつのライバルは、おなじ月刊誌ではなく週刊マンガ雑誌だったと思われる。これは値段的なものが多分に影響している。創刊された1955年頃の『なかよし』は定価110円。物価の上昇や、ページ数の増加、付録の増加などにより1967年には約2倍の200円になった。1960年代後半の週刊少女フレンドの値段は60〜70円。月刊誌の200円前後という値段を考えると3冊は買える金額である。つまり付録とかよりマンガを読みたい子供から見れば、毎週新しいマンガが読めてしかもトータル金額が240〜280円と当時の平均的なお小遣いの半額位なら週刊マンガ誌の方がかなり魅力的なはずである。
 ただしこの傾向も1970年代前半までで、週刊マンガ誌が200円前後となる1970年代後半から末期にかけてぐらいになるとふたたび月刊誌が盛り上げって来る。毎月4冊で800円は子供のお小遣いではキツイよね。70年代中盤にかけて雑誌の値段がガンと上がるのはするのは、ライバル誌との競争によるページ数の肥大化と2度のオイルショックによる紙代の高騰よるものです。
 ちなみに講談社における月刊誌と週刊誌の値段の変遷は簡単な表にするとこんな感じ。
1955年 なかよし 110円  −
1963年 なかよし 160円  週刊少女フレンド  50円
1967年 なかよし 200円  週刊少女フレンド  60円
1970年 なかよし 210円  週刊少女フレンド  70円
1974年 なかよし 300円  週刊少女フレンド 120円
1975年 なかよし 300円  週刊少女フレンド 180円(月2回刊行)
1980年 なかよし 370円  週刊少女フレンド 200円(月2回刊行)
1990年 なかよし 380円  少女フレンド   240円(週刊とは銘打たなくなった)
2000年 なかよし 420円  −(少女フレンドは1991年に月刊になり、1996年に廃刊)

 おマトメおマトメとか言いながら結論めいたものが迷走している(大汗)。
 1967年ころの『なかよし』の他社広告状況がどうだったかといえば、多くて3件少ない時には表4のみの1件しかない号も見受けられた。この当時の出版社の他社広告依存率はそれほど大きくなかっただろうが、それでもかなりお寒い状況である。
 実は今回の資料の裏表紙右隅に”4,000”という数字が記載されている。最初はこの数字の意味がよくわからなかったが、どうやら4,000という数字はこの資料の印刷部数を意味しているようだ。とすると結構な数を色々な会社にバラ撒いたんだろうなぁ。
 なんだか講談社の営業の苦労がうっすらと忍ばれるような印刷部数である。
 営業努力が身を結んだかどうかはわからないが、1967年3月号ではわずか1件しかなかった他社広告は、1969年に3件、1971年に4件、いがらしゆみこ「キャンディ・キャンディ」がブレークした1976年になると6件になり、200万部の売り上げ部数を超えた1993年には実に16件の広告が掲載されるようになった。
 困った、ちっとも結論にたどり着かない(滝汗)。
 2012年1月号の『なかよし』は定価580円である。もはや小学生のお小遣いで買える金額ではなくなっている。デフレの時代になんでここまで値段が上がってしまったのかは、まったくもってよくわからない。で、広告の数はどうなったかというと、実は購入する気も起きないので未検証なのである(手抜き)。羞恥心は30年前に捨てたから買うのは別に恥ずかしくないけど、さすがに読みたいマンガが1作品もない雑誌を買うのはどーもね。
 というのが結局今回の結論……?(超汗)。ああ、御免なさい石投げないでください。今回の文章が迷走につぐ迷走で結局座礁してしまったことを腐海の底より深くお詫びいたします。しかも内容が無いのに文章だけはムダに長いし……。
 いつの日にか、何か別の対照データでも揃ったら再度チャレンジしますので、その時にはどうか石を投げずに生あたたかい目で見守ってやってください。



 

 あとがき

 見事に失敗しちゃった文章です(泣)。お店での販売用にも使おうとおすすめコラムにも掲載。一粒で二度美味しいを狙ったのに、二兎を追う者は一兎をも得ずになった。反省反省(^^ゞ

 

 

 

 

 

 

東京都公安委員会許可第301020205392号 書籍商 代表者:藤下真潮