週刊少女マーガレットは、講談社少女フレンドに約5ヶ月遅れの1963年(昭和38年)4月下旬に創刊された。 先行する少女フレンドに対抗するため、マンガ連載陣には、休刊させた少女ブックからわたなべまさこ、講談社で仕事をしていた水野英子、「少女」(光文社)の看板だった牧美也子に加え、少年誌の人気作家関谷ひさしという4本柱でスタートした。 さらに読者獲得のため、創刊号をすべて無料にするという大盤振る舞いを敢行。休刊する少女ブックには、無料引換券を付け、姉妹紙「りぼん」には”本屋に申し込めば無料で差し上げます”という広告まで掲載(左下図)した。大盤振る舞いは更に続き、2号目ではブローチとハンカチの全員プレゼントまで行われた。 この宣伝広告が書くように、100万部が印刷されたとはさすがに思えないが、それでも50万部くらいは印刷されたのではないかと思われる(少女マンガ雑誌が実質100万部を超えるのは昭和40年代になってから)。 この大盤振る舞いの損失を回収するのに2年かかったという噂は、あながち嘘ではないと思われる。 当初、マンガ連載5本(フレンド誌は4本)という、マンガ雑誌という割にはさびしい本数は、やがて強豪との競争によりそのマンガ連載数を増やし続け、厚さを増し、さらには別冊マーガレット、デラックスマーガレット、セブンティーンなどの姉妹紙を生み続け、やがて少女マンガブームを作り出すこととなった。 状態は、表紙少スレ、表紙右下部にハゲ、縁まわり少オレあれどサケやカケ等なく良好。 |