「蟻の街のマリア」は、かつて蟻の街と呼ばれた江東区隅田公園界隈に存在したバタヤ(今で言う廃品回収業)部落に於いて献身的な奉仕活動を行ったクリスチャン北原怜子(きたはらさとこ)を描いたものです。
北原怜子は、1928年8月22日東京杉並区に農学者北原金司の娘として生まれました。22歳のとき、聖フランシスコ修道会のゼノ修道士に出会うことにより、蟻の街の存在を知ります。それ以後、蟻の街の住民とともに寝起きし、自立のための活動に邁進します。
蟻の街は自治体等の支援を受けずに独力で自分たちの街を作ろうとし、都が代替地として提示した深川区深川枝川町地先第8号埋立地(現在の江東区潮見)の5千坪の用地を買収する計画を立てました。都から提示された買収費用は2,500万円で即金。幾多の交渉の末、1,500万円の5年分割で話し合いが付いたのが1958年1月20日でした。北原怜子は、その結果を見届けるように3日後の1月23日に28歳の若さで結核のため息を引き取りました。
もっとも本作は子供向きのマンガですので、あまりややこしい話は割愛されております。
原作の松居桃楼は、劇作家の松居松翁の息子で、この当時は蟻の街の住民でした。作中の≪先生≫とよばれる人物が自身のモデルと思われます。
作画の姫野ひろしに関しては、ほとんど分かりません。ただし作中頻繁に出現する動物のキャラクタから判断して、おそらくトモブックス社のディズニーマンガを無記名で書いていた方ではないかと推測されます。
この”蟻の街のマリア”の話は、クリスチャンの方や1950年代末期のことをよく覚えている方には有名な話のようです。
ちなみにこの話は映画化もされております。映画「蟻の街のマリア」は、1958年封切りで配給松竹、監督五所平之助、主演は千之赫子でした。今では見ることの難しい映画です。余談ですが、この映画には、端役で丸山明宏(美輪明宏)が出ておりました。
本の状態は
A5サイズハードカバー、カバー付き、内部糸綴じ、ビニカバ剥がし、見返し貸本屋印、内部少サケ有り。貸本としての並状態です。
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